100年間の親近感と、
次の新・キンカンへ。
大正から令和へ、
キンカンを中心に世代を越えて
親しまれてきた金冠堂。
お客様と歩んだ100年は、
時代の声に耳を傾けつづけた歴史でした。
これからも親近感を大切に、
変わらぬ想いと変化を恐れず挑む姿勢で
「新しい金冠堂」を目指していきます。
100周年ロゴマーク決定!
キンカンは100周年を迎え、これまで支えてくださったお客様、地域社会、お取引先様、そして従業員をはじめとするすべての皆さまへの感謝の気持ちを新たに感じています。この感謝を形にすべく、次の100年もお客様と共に歩んでいくという想いを込め、お客様と共につくり上げる「100周年記念ロゴデザインコンテスト」を開催しました。
どの作品にも温かい想いが込められており、いずれも素晴らしいものでしたが、その中から、キンカンの歴史と未来をつなぐ植田浩史氏の作品が選ばれました。ロゴを手掛けた植田浩史氏は、ビンとキャップの色をモチーフに「温故知新」の想いを込めたとコメントしています。
HISTORY
金冠堂100年のあゆみ
KINKANの歴史は、
主力製品である「キンカン」の登場により
その第一歩を踏み出しました。
以来、「キンカン」を中心に
さまざまな製品を提供しながら、
お客様の健康とともに歩み続けて来ました。
健康という喜びを、できる限り
多くの人たちと分かちあっていくことが、
私たちの最大の喜びにつながります。
時代がどんなに変わっていっても、
変わらない健康をお届けしていく。
それが、これまでも、これからも、
目指していくKINKANの姿です。
1923年(大正12年)
キンカン研究の開始
キンカン開発のきっかけは、創業者・山﨑榮二の心に深く刻まれた出来事だったと言われています。それは、姉の子どもが大やけどを負い、幼くして命を落としてしまったのです。
かけがえのない命が失われていくのを目の当たりにした榮二は一念発起。軍の衛生兵だった経験を活かし、「やけどに効く万能薬をつくりたい」と研究に着手しました。
1926年(大正15年)
4年の歳月をかけ『キンカン』完成
キンカンの研究は一筋縄ではいきませんでした。それでも、『世の中の役に立つ薬をつくろう』という想いを胸に研究を重ね、4年にわたる研究の末、たったひとりでついに『キンカン』を完成させました。
その頃、榮二が研究を行っていた朝鮮半島の京城(現在のソウル)の地で、韓国史上初めて「金の冠」が慶州の塚から出土し、大きな話題となっていました。
そのめでたい話にあやかり、大正12年に商品の開発のために作った研究所を「金冠堂」、後にできた商品を「キンカン」と名付けました。
1930年(昭和5年)
驚きの実演販売
1931年(昭和6年)に帰国した榮二は、日本各地で『キンカン』を売り歩きましたが、当初はなかなか売れませんでした。
そこで考え出したのが、昔も今も常識では考えられない方法での実演販売です。それは、湯を沸かし、自らの腕に煮えたぎる湯をかけ、すかさずキンカンを塗る―「ご覧の通り」と示すものでした。この実演販売が成功し、大きな注目を集め、その後、注文が殺到しました。
1941年(昭和16年)
軍用薬として採用
1941年(昭和16年)、キンカンは軍需品として採用され、
『癒創液(ゆそうえき)』の名称で配給されました。
当時の瓶は、現在(今)とは異なり、青く透き通った色をしていました。
1945年(昭和20年)
工場全焼と再建
1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲で、世田谷区三宿にあったキンカン工場は全焼しました。
爆撃のさなか、必死に逃げる途中で工場を振り返った山﨑寅(現会長)の目に、真っ赤な炎の中からひときわ青く立ち上る炎が焼きつきました。
後年、寅は「あれがキンカンの工場だった」と語っています。その青い炎の正体は、キンカンの工場にあった原料のアルコールが燃え上がったものでした。
戦後、現在も本社がある三軒茶屋に工場を再建し、再び歩みを始めました。
1963年(昭和38年)
『キンカンのうた』誕生
「キンカン塗って~また塗って~♪」で親しまれる『キンカンのうた』は1963年(昭和38年)に誕生しました。
作詞は美空ひばり氏の『悲しき口笛』で知られる藤浦洸氏、作曲は『ラジオ体操第一』で有名な服部正氏。歌唱は雪村いづみ氏とダークダックスが担当しました。
実は、藤浦氏・服部氏は、現会長 山﨑寅の大学の大先輩であり、その厚意からこの歌が生まれました。CMに使われているのはワンフレーズですが、キンカンのうたは実は5番まであります。そんな想いのこもった楽曲だからこそ、半世紀以上にわたり世代を超えて歌い継がれているのかもしれません。
1970年(昭和45年)
瓶の改良
1970年(昭和45年)、キンカンはスポンジ付きの中栓タイプへとリニューアルされました。瓶も、それまでの平たい形から、患部に直接塗布しやすい丸い形へと変更され、より便利に使いやすくなりました。
リニューアル前の中栓は、現在とは異なり、ゴムキャップの裏側にスポンジを取り付け、液をしみ込ませて塗布する方式でした。そのため今でも「ゴムキャップのキンカンはもう販売していないのですか」と、惜しむ声をいただくことがあります。
リニューアル後もしばらくゴムキャップ式のキンカンの生産が続けられましたが、 1995年(平成7年)、創業以来使用してきた平たい瓶とゴムキャップ式のキンカンは生産を終了しました。
その後も密封性の向上など改良を重ねながら、キンカンは現在の形へと受け継がれています。
1986年(昭和61年)
埼玉工場新設
1986年(昭和61年)、東京都世田谷区三軒茶屋から埼玉県児玉郡児玉町(現在の埼玉県本庄市)に工場を移転しました。
以来約40年、キンカンはこの埼玉工場で製造され続けています。
1997年(平成9年)
ロゴマークの変更
1997年(平成9年)、本社新社屋の完成に合わせ、創業時から用いてきた「金冠」の文字ロゴから、現在の「K」をかたどったシンプルなデザインにリニューアルしました。
黄色と赤の配色は、それぞれ「人とのコミュニケーション」と「躍動するエネルギー」を表しています。
2005年(平成17年)
山﨑寅が会長に就任
山﨑充が三代目社長に就任。
2006年(平成18年)
パッケージ大リニューアル
キンカン発売80周年を記念し、2006年にパッケージを大幅リニューアル。従来の黄色基調から、赤と黄色のグラデーションを取り入れたデザインとなりました。
今ではおなじみの赤と黄色のパッケージですが、パッケージがガラリと変わった為、当時『キンカンがなくなった!?』と騒ぎになったこともあったそうです。
(2000~2006年)
(2006~2018年)
2013年(平成26年)
「キンカンの日」制定
2013年(平成26年)11月23日(勤労感謝の日)を「キンカンの日」に制定しました。
「肩こりや腰痛に効くキンカンを通じて、働く人々の勤(キン)労への感(カン)謝を伝えたい」という想いが込められています。
2020年(令和2年)
新バージョン
『キンカンのうた2020』誕生
2020年(令和2年)、現代の生活に合わせた新しい『キンカンのうた』が誕生しました。
制作したのは、アニメのシンガーソングライターとして有名なオーイシマサヨシ氏。オリジナルの魅力を受け継ぎながらも、会社の理念をさりげなく組み込み、若い世代にも親しみやすい内容にリニューアルされた、まさに素晴らしい作品となりました。 同時に制作されたMVには、社長や会長をはじめ、実際の社員も出演。『キンカンのうた2020』に合わせて、社員も一緒に「キンカンダンス」を踊り、笑顔あふれるシーンが映し出されました。
SNSやCMを通じて、オリジナル曲の伝統と新しい魅力が世代を超えて広がり、キンカンの理念と楽しさがしっかりと受け継がれています。
2026年(令和8年)
創業100年へ
そして2026年(令和8年)12月8日、創業100年を迎えます。
この100年の歩みは、創業者の志と、それを信じ、支え、手に取ってくださったお客様お一人おひとり、社員や関係者の皆さまのおかげで築かれた歴史です。
私たちは、これまでいただいた多くのご愛顧とご支援に心から感謝申し上げます。
これからの100年も、変わらぬ想いで人々の生活に寄り添い、健康と笑顔を守り続けるとともに、新たな挑戦を通じて、より多くの人々に安心と喜びを届けてまいります。
これまでの歩みと感謝の気持ちを胸に、未来に向かって挑戦し続けてまいります。
金冠堂 本社
7SECRETS
キンカン7つの秘密
名前の由来は「金冠」です。
多くの方は果物の「金柑」が関係していると思われているかもしれません。
実はキンカンは漢字で書くと「金冠」。
キンカンの創業者、山﨑榮二が「キンカン」を開発した地は、朝鮮半島の京城(現在のソウル)でした。その頃、韓国史上初の金の冠が慶州の塚から出土し、話題になったそうです。そのめでたい話にあやかって1923年(大正12年)に商品の開発のために作った研究所を「金冠堂」と名付けました。後に商品名も「キンカン」になったのです。
実は「鎮痛」効果もあります。
「キンカン」というと虫さされなどのかゆみを鎮める「鎮痒」効果が有名ですが、実は「鎮痛」効果もあります。
キンカンは有効成分が複合的に作用して、すばやく患部の熱を奪い去り、局所刺激を与えることにより、かゆみだけでなく痛みの伝わりをも抑制し、効果を発揮します。そのため、虫さされ、かゆみなどの「鎮痒」だけでなく、肩こり、腰痛、打撲、捻挫などの「鎮痛」に対しても優れた効果を発揮するのです。かゆみと痛みという似て非なる症状を和らげる秘密が「キンカン」にはあります。
アメリカと台湾で販売を
しています。
「キンカン」を海外のドラッグストアなどで見かけたことはありますか?
実は既にアメリカと台湾で販売をしています。特に台湾では日本とほぼ同じパッケージで展開しています。
さらに現在は、他の国々での販売に向けてリサーチを進めており、より多くの方にキンカンを届けられるよう取り組んでいます。
100年変わらずビンを
使用しています。
発売当初から「キンカン」はビンでの販売をしていました。その後、紙やプラスチックなどさまざまな容器を検討していますが、キンカンの特徴である揮発性の高さをしっかり守るためには、やはり「ビン」が一番適しているという結論に至っています。
実は、はじめは
やけどの薬でした。
「キンカン」はかゆみ、虫さされの薬というイメージの方が殆どだと思います。
実は「キンカン」、はじめはやけどの薬だったんです!!
「キンカン」の開発のきっかけ。それは創業者、山﨑榮二の姉の子どもが大やけどを負って亡くなってしまったことです。榮二は「世の中の役に立つ薬をつくろう」と思ったそうです。「キンカン」の発売当初は11種類の効能・効果がありました。薬機法(旧薬事法)等の関係により、効能・効果が集約され、現在の6効能となっています。
戦時中は、
『癒創液(ゆそうえき)』と
呼ばれていました。
「キンカン」と言えば茶色のビンのイメージですが戦時中は透明な青色のビンを使用していたことも。戦時中の軍医の教科書には、「昆虫に刺されたら『癒創液』を塗る」と記載されています。この『癒創液』こそ「キンカン」の別名です。「キンカン」を軍需品として採用した陸軍が考えた名前といわれています。
夏だけ使うのはもったいない!?
社員が教える「キンカン」の使い方
金冠堂の社員は、冬でも「キンカン」を常備しています。
デスクワークや工場での 繰り返し作業など肩こりや腰痛がつらくなったとき、
サッと塗って和らげるためです。
また、ゴルフを楽しむ社員のゴルフバッグや、登山好きの社員のリュックに常備されています。虫さされのケアはもちろん、さまざまなシーンで活躍するからです。
例えば、ゴルフのラウンド時に手首の捻挫へ塗ったり、登山の際に急な打撲や腰痛など足腰の痛みの応急処置に役立ちます。
「キンカン」は使用方法が特徴的で、「塗っては乾かし」を繰り返すことで、より効果的に使うことができます。塗るたびに、すーっとすっきりした爽快感が加わり、足取りが軽くなるようだと社員は言っています。
ぜひ皆さまも、ゴルフバッグや登山リュックの常備薬としていかがでしょうか。